記録動画  3月3日 渋谷 小沢一郎は無実! デモ

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3月3日 渋谷 小沢一郎は無実! デモ



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3・3(土) 渋谷 小沢一郎氏は無実! 陸山会事件国策捜査・不当裁判糾弾デモ
今年に入ってから、小吹さんが実行責任のデモ、6回目である。
小吹さんはすざましい持久エネルギーがある。東京での小沢支援デモをひたすら継続してきのだ。
小吹さんは誠実な人だ。そして礼節がある。その礼節は小沢一郎氏と通低する。
記憶は重力、西松建設事件から3年目の3月3日。その日、渋谷には
重心があった。沿道歩道を歩く若い人々の関心度に注目した。
舞踏において身体の軸は下半身である。関心度が高いということは、身体の底にまで入っていくということであろう。
舞台俳優にとって身体の軸はへその下にある胆力、その身体の中心部から見えない蜘蛛の糸が舞台の四方八方に伸びている。
ゆえに舞台俳優は完全暗転でも袖に帰還できる。
デモを無視できないという記憶の重力が若者たちの街、渋谷にはあった。
土木建築現場からかけつけデモに参加された職人さんがいた。その職人さんは地下足袋でデモコースを歩いていた。

1988(昭和64)年12月とは、昭和の終わりだった。
1989(昭和65)年1月、日本は昭和から平成へと年号が改められた。
1989(平成1)年、わたしは日雇労働者の街にいた。寄せ場でありドヤ街である。日雇労働の仕事は港湾労働であり道路舗装であり、土木建築現場だった。港湾労働、道路舗装工事は安全靴だったが、土木建築現場では地下足袋だった。外装工事のペンキ職人も地下足袋である。
1989(平成1)年5月、中国北京天安門広場で自由を求め民衆決起、それは東欧・中欧に波及し、ついにベルリンの壁が崩壊した。ルーマニアの民衆は独裁政府を打倒した。
冷戦という第2次世界大戦後の世界構造が崩れ去った。
そのとき、日本は真の独立を勝ち取るためのチャンスだったと思う。

日本の社会主義者共産主義者は、人類史、世界史そして革命の展望を喪失し虚脱状態となった。
絶望のなか自決した共産主義者がいた。その自決は、1945(昭和20)年8月、日本が大戦で敗戦したとき、責任をとって割腹自決した人に類似する。
1989(平成1)年12月、日本の株式市場は頂点をめざしていた。
1990(平成2)年、日本バブル金融市場、君の頂点は落下。
日銀と大蔵省は、土地神話を崩壊させるべく、金融経済を縮小させていった。

東西ドイツの統合、東欧社会主義政府の崩壊、中欧ユーゴスラビアの解体。

1991(平成3)年1月、ファーザーブッシュは、新世界秩序をめざし、イラク攻撃を開始した。湾岸戦争の勃発。デジタル兵器の出現、トマホークミサイルが、千夜一夜物語の都市に飛来した。
日本は内在的な独立を勝ち取ることができないままに、イギリス・アメリカ二重帝国からイラク湾岸戦争への貢献を執拗に求められた。日本は巨額の金を供出したが、世界からは蔑視された。
1991(平成3)年。ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊し解体、消滅していった。ソビエトとは評議会運動であるが、社会主義独裁官僚体制だった。
ファーザーブッシュは米国財閥と一緒に日本に乗り込んできたが、晩餐会で倒れる。

1991(平成3)年11月、ファーザーブッシュは米国大統領選挙で若きクリントンに敗北。
1992(平成4)年に米国大統領に就任したクリントンは日本経済を制圧せんと、「ジャパン・バッシング」を開始した。そして年次改革要望書を日本に突きつけた。そのシナリオを書いたのがゴールマン・サックスだった。

日本の危機を打開し展望を国民に提起しようと、小沢一郎氏は1993年(平成5)年5月、日本改造計画を出版する。
霞ヶ関国家官僚は冷戦の崩壊、世界構造の変遷を逆手にとり、日本列島の最末端まで超管理する支配強化に驀進していた。
もはや反対者などは共産主義の敗北と一緒に消滅したと冷笑していた霞ヶ関にとって、1989(平成1)年の世界事態は、完全支配強化のチャンスだった。
そこに保守の側から、前衛の革命者が現出した。小沢一郎氏である。
霞ヶ関国家官僚は「小沢一郎を抹殺する」戦争計画を練り上げていった。
これは既得権益再分配、裏金検察・裏金最高裁判所、国家官僚システム防衛であると・・・・

今年は平成24年である。
第2の敗戦から24年が経過した。
わたしたちは時の旅人でもある。そして記憶とは重力なのだ。
現在を読み解くために過去を読み解くのだと、或る人が教えてくれた。

日雇労働のころ、ビルの基礎工事に入ったことがある。
地下構造を建設するための掘削。巨大な地下を掘削したら
矢板を入れる。矢板が地下の工事を防衛する。
矢板とは、ふるさとの名前でもある。
「そうかぁ、おめえの故郷も矢板というのかぁ」
飯場からもらった昼飯弁当のとき、先輩が言葉をかけてくれた。

襖に墨の大字で描かれていのは「我は愚者なり」。
或る書道家の作品を大田原市でみた。
1970(昭和45)年、17歳のときだった。
自由とは、たたかいのなかにある、永遠に。復活、早春の季節。

阿修羅に動画を投稿するためには文章が必要なので書いたが、
どうしても自己対話になってしまう。それがわたしの現状である。


http://www.asyura2.com/12/senkyo127/msg/261.html